「何か表情が普段より柔らかいから、良いことでもあったのかと思った。あ、まさか宝くじ当たったとかじゃないよな?」「いや、買ってないし」「もし当たったら、ちゃんと同期の俺らには報告しろよ!じゃあな」「だから、買ってないってば」私の声なんか耳に入っていないのか、甲斐はリハビリセンターへと戻って行った。相変わらず、朝でも昼でも夜でも明るい男だ。朝でも昼でも夜でもクールな久我さんとは、タイプが違いすぎる。そんな風に、無意識に何でも久我さんと結びつけようとする私は、相当ヤバいかもしれない。久我さんと会う前は、いつも何となくソワソワして落ち着かない気持ちになる。それは、いつからだっただろう。会えることが嬉しいのに、照れくさくもある。素の自分を見せれる相手だけれど、緊張感もある。正直、こんな感覚は初めてだった。慌ただしく一日の仕事を終え、交代の同僚に引き継ぎをして帰り支度を始める。すると、急いで更衣室に向かおうとする私を、股票買賣手續費が呼び止めた。「桜崎さん。今日はこの後、予定ある?」「え……どうしたんですか?」「久し振りに皆で飲みに行かないかって話になってるのよ。私も今日は早番だし、もし空いてるなら、どう?」もちろん、職場内の同僚たちとの飲み会は重要だ。特に私たちは連携しながら業務をこなすことも多いため、飲み会で積極的にコミュニケーションを図ることも大切なのだ。本当に何も予定がなければ、私は飲み会に参加しただろう。でも、今日だけは参加するわけにはいかない。「すみません。せっかくなんですけど、今夜は約束があって」「そう。酒豪のあなたが参加出来ないなんて、残念だわ。もしかして……彼氏出来た?」私に長年恋人がいない事実は、同僚なら誰でも知っている。そんな私が、約束があると言って急いで帰ろうとしていたら、怪しいと思われるのも仕方ない。「いえ、彼氏は出来てないんですけど……今の私にとっては、大事な人との約束です」大事な人。その表現に、嘘はなかった。恋愛に関しては自分の気持ちを偽ることに慣れているからか、本音を口にする方が私は苦手だ。でも、嘘をつくのはもう嫌だった。すると看護師長は、私を見て優しく笑ってくれた。「大事だと思える人がいるって、いいわね。ちゃんと相手にも伝わるくらい、大事にしなさいよ」「……はい」「呼び止めて悪かったわ。お疲れ様」「お疲れ様です」その後の私の行動は、凄まじく速かったと思う。結局、急いで病院を出て地下鉄に乗り、待ち合わせの改札に到着したのは、待ち合わせ時間より二十分も前だった。何で私、時間に余裕があるのに、こんなに息を切らせてここまで走ってきたのだろう。「……余裕、なさすぎ」とりあえず、落ち着こう。久我さんが現れるには、まだ早い。ゆっくりと深呼吸を繰り返しながら、周囲を見渡した。私以外にも、この場所で待ち合わせをしている人たちは多数いる。待ち合わせの相手は、恋人、友人、夫や妻、会社関係の人、家族、皆それぞれ違う。人間観察が好きなため、それぞれの表情をじっくり見回していると、私の隣に一人の女性が立った。彼女もきっと、ここで待ち合わせをしているのだろう。ふと隣に視線を移し、私は思わず「あ……」と声を上げてしまった。そこには、以前立ち飲みの店で会った、久我さんと同じ会社に勤めている女性がいたのだ。