「今日はもしかしてこの後、仕事に戻るとか?」
「普段なら今の時間はまだ会社ですけど、今日は珍しく早く終われたんです」
久我さんは以前は営業を担当していたけれど、今は主に企画やマーケティングを担当しているらしい。
広告代理店で働いている友人が私の周りにはいないため、久我さんの仕事の話は全てが新鮮で面白かった。
「ちなみに営業のときは、點讀筆推薦 帰宅は終電間際がほとんどでプライベートの時間は0に等しかったですよ」
「それはきついですね。私なら、そんな毎日が続いたら精神的に余裕がなくなってしまいそうです」
「七瀬さんの仕事は、普段残業はないんですか?」
「ほとんどないですね。勉強会とかは毎月定期的にやるんですけど」
久我さんも私の仕事については未知の世界らしく、興味深そうに私の話に耳を傾けてくれた。
久我さんは話し上手で、同時に聞き上手でもある。
きっと会社でも、周りから頼りにされ好かれているのだろうと感じた。
しばらく互いの仕事の話をしたところで注文していたハンバーグがテーブルに運ばれ、次は食事についての話題に移った。
「七瀬さんは、朝食はご飯派ですか?それともパン?」
「絶対にご飯派です。パンも好きなんですけど、朝はお米を食べないと力が出なくて」「僕も同じです。朝は米と納豆に味噌汁、あとは魚があればベストですね」
「わかります!でも、なかなか朝からちゃんとした食事って作る余裕ないんですよね」
「僕も、卵かけご飯で終わらせることはよくありますよ」
意外だ。
久我さんは見た感じだと、朝から完璧な朝食を作り、手を抜くことなんてしない人のように見える。
しかも、米よりトーストやホットサンドなどを朝から優雅に食べているイメージだ。
人の内面は外見だけでは読み取れないのだと、改めて知った。
意外と好きな食べ物や嫌いな食べ物の話で盛り上がった後は、ついに恋の話題が持ち上がった。
話題を振ってきたのは、もちろん久我さんの方だ。
「そういえば七瀬さんは、最近恋人と別れたばかりなんですよね」
「……そうですね」
ついに恋愛系の話題がきた。
やはりこのまま当たり障りのない会話をして帰る、なんてことは出来なかった。
でも、遥希に浮気されたことがきっかけで別れたことはあまり話したくない。
私はどうにかして話を逸らしたかった。
「久我さんは、すごくモテそうですよね。久我さんに告白してくる女性は沢山いるんじゃないですか?」
「沢山はいないですよ」
沢山はいない、ということは……告白してくる女性は何人かはいるということだ。
でも、こんなに完璧な人がなぜ今フリーなのだろうと不思議に思ってしまう。
普通なら、恋人がいてもおかしくない。
久我さんは現在三十歳だと言っていた。
私の二つ年上だ。
今までの恋愛で、結婚を考えたことはないのだろうか。
自分は結婚願望がないくせに、他人の結婚歴は気になってしまう。
「失礼ですけど、久我さんはずっと独身ですか?過去に結婚したことがあるとか……」
「いえ、一度もないです。七瀬さんは?」
「私もないです。というよりも……」
自分には、結婚願望がない。
結婚して幸せになる未来が想像出来ない。
好意を寄せてくれている久我さんには、ハッキリ伝えておくべきだと思った。
「あの、実は私、今まで結婚したいと思ったことがないんです」
「え?」
「理由はいろいろあるんですけど……とにかく自分は結婚に向いていない気がしていて」
猫を被っても意味がない。
いつかその考えが変わる日が訪れるかもしれないけれど、今の私の本心を伝えておきたかった。
「だから、もし久我さんが次付き合う人と結婚を考えているようなら……」
私とは、関わらない方がいい。
そう伝えるつもりだった。
「七瀬さん。実は僕も、結婚願望がないんですよ」
予想外の言葉が返ってきて、私は目を見開いた。「え……本当ですか?」
「えぇ。いつかその考えは変わるかもしれないですけど、今のところはまだ」
「私も……同じです」
まさか久我さんが、結婚に対して私と同じ考えを持っているなんて思いもしなかった。
「僕の周りには、結婚して幸せそうな人が一人もいないんですよね。離婚した人もいれば、不倫している友人もいますよ」
「え……」
「だから周りを見ていると、形式にこだわる必要がないような気がしてしまって」
「そうなんですね……」
結婚願望がない。
その理由は、きっと人それぞれだ。
周囲の影響もあれば、いつまでも自由でいたい人だっているだろう。
どんな理由であれ、その人にとっては大きなことなのだと思う。
「でも、驚いたな」
「え?」
「女性で結婚願望がないっていう人に出会ったのは、七瀬さんが初めてですよ」
「……ですよね。この間まで付き合っていた人にも、私はおかしいって言われちゃいましたから」
私は、自分を卑下するように笑ってみせた。
本当は笑いたくなかったけれど、笑っていないと胸が痛くなってしまいそうだったから。「七瀬さんがおかしいなら、僕もおかしいことになりますね」
「え……」
「自分のことをおかしいと言ってくる人のために、自分の価値観を曲げる必要はないと思いますよ」
「……」
「少なくとも、僕は七瀬さんと同意見ですから」
久我さんは、私を慰めるように優しく微笑んだ。
六年付き合ってきた遥希とは、全く違う。
大人の余裕と、落ち着きがある。
間違いなく私は、その優しい微笑みと語り口調に癒され始めていた。
「僕たち、きっと合いますね」
理想の恋なんて、どこにもないとわかっている。
全ての考え方や価値観が同じ人なんて、どこにもいない。
でも、自分に似ている人はきっといる。
私の理想の恋の相手は、どんな人なのだろう。
久我さんと食事をしながら、ふとそんなことを考えた。
1. 無題