その日の日暮れ。太陽が山に沈むと同時に、気温がどんどん下がっていった。
仕事を終えた信継が詩の”離れ”を訪れる。
「桜」
「はい」
信継が土間から声を掛けると、試管嬰兒流程圖 襖が開き、詩が顔を出す。
湯浴みを終えたばかりらしい詩からは、何かいい匂いが漂ってくる。
その髪はまだ乾いておらず、濡れていた。
信継は思わず直視できず、目を逸らした。
「母上からの依頼の件、だが」
信継は土間に立ったまま、視線を動かしながら詩に言う。
詩は襖を大きく開け、信継を促した。
「火鉢があります…中に入られませんか?」
外は寒い。
無心に自分を見上げる詩に、信継は少し困ったような顔になる。
「…いや……」
不思議そうな詩の顔。
信継は正座した詩の着物の帯、着物越しにも細っこい太腿から膝頭、それから着物の袷をチラチラと見てしまう。
「…信継様?」
「…っ」
まだ濡れている、豊かな黒髪。
柔らかそうな首元の肌。
襖にかかった白い手ーー
信継は目元を染め、視線を逸らした。
「いや、ここでいい」
「…わかりました」
詩は居住まいを正して、信継を見上げる。
「…明日早朝、立つ。
迎えに来るから用意を」
「はい」
「…戸締りはきちんと…しておくように」
「…はい、わかりました。
よろしくお願いします」
詩は畳に手をついてお辞儀をし、ニコッと笑った。
信継は何か言いたげにーーそれでもそのまま出て行った。
「明日の朝ーー」
戸口につっかえ棒を立てて、詩は小さく呟く。
何にせよ、城の外へのお出かけは嬉しい。
信継と一緒に、緋沙のための蠟梅を取りにーー
詩は褥を用意して、小さな行燈の火をフッと吹き消す。
詩は暗闇の中、浮き立つ気持ちとともに、褥に入る。
目を閉じても、頭の中に色々浮かんできて、すぐには寝付けなかった。
しばらくして、目を開けて天井を見る。
暗闇に慣れて来た目に、天井の木目が見えていた。
ーー牙蔵さんも…来るのかな?
詩はここのところずっと牙蔵を見ていない。
信継と出るならきっと、護衛として黒装束集団の誰かは来てくれるのだろう。
今までのことから、詩はそう思った。
ーーそれとも、伊場さんかな?
伊場もほとんど姿こそ見せないものの、時々は話すこともあり、詩はもう心を許していた。
「…」
詩は目をゆっくり閉じる。
ーー明日…
そのまま詩は眠りに引き込まれていった。夜半。
般若の面をつけた忍が詩の顔を覗き込む。
「…」
詩は深く眠りに落ちていて気づかない。
だが、わずかな気配を本能的に感じとる。
「…バカな女」
夢うつつに、何か聞こえた気がした。
瞼が重くて、どうしても目が開かない。
詩はまた、そのまま抗えない眠りに落ちて行く。
それからその忍は、音もなく姿を消したのだった。
まだ陽の昇らない早朝。
手荷物の用意と身支度を済ませた詩は、”離れ”の戸口を開ける。
キンと冷えた朝の空気。
積もった雪は凍り、ひさしからはつららがいくつも垂れている。
「…寒…」
東の空の濃紺が少しずつ淡くなっていく。
寒いけれど、陽の昇る前の早起きは気持ちいい。
まだ暗い城内は、ところどころ焚かれている松明の火だけが明るい。
年が明けるまであと3日となった高島城は、すでに準備も整い、あとはもう正月を迎えるばかりになっている。
ザッザッと玉砂利が鳴り、元気よく信継が歩いてきた。
薄暗い中とはいえ、信継は立派な容姿で存在感も大きく、遠目にもとても目立つ。
端はしに控える護衛たちが次々に頭を下げ、信継もまた快活な挨拶で労っている。
「…桜!おはよう」
「信継様…おはようございます」
詩が信継を向いて頭を下げると、信継は自信に満ちた目で、ニコッと笑った。
「早いな」
「いえ…あの」
「なんだ」
「私も袴を履いた方がいいのかと…迷っておりました」
信継はからりと笑う。
「そのままでいい。一緒に俺の真白に乗って行こう」
「はい、わかりました」
「桜。これ」
信継が嬉しそうに差し出したのは新品の薄紅色の