藤堂がどこか心配そうに見上げるのへ、会釈で返して。朝の巡察を割り当てられている隊士達が、同じく早々に片付けだした膳を、受け取りに向かった。
次に沖田の姿を見たのは、一刻後だった。
厨房の仕事を終えた冬乃が、兒童英語會話班 掃除の道具を手に隊士部屋へ向かうさなかに、沖田と斎藤が並んで道場のほうへ向かっている後ろ姿が、遠くに見えた。
(これからお二人で稽古なのかな)
見たい・・・
心に沸き起こったその欲求に、冬乃は二人の消えた遠くの角を見つめる。
(ちょっとくらいなら、・・いいよね)
茂吉に心内で詫びながら。
冬乃は、彼らを追って道場へと足を向けた。
近づくにつれ、期待が冬乃の胸を躍らせて。向かう冬乃の足どりは自然と早まる。
床を踏み鳴らす、その剣道特有の音が辺りに鳴り響き、大小様々な掛け声がその音を追う。
「試合すんだってよ」
入口の手間で、永倉の声がした。
「あいつら今来たばかりだろ?もうやるの」
半分呆れたような原田の声が続いた。
「ほんと好きだねえー」
入口から覗くと、戸のすぐそばに居る永倉と原田が、外した面を抱えて立っている。
「あれ、嬢ちゃん」
すぐに気づかれて冬乃は草履を脱ぎながら、ぺこりと会釈した。
「ここなら、俺らでいつも掃除してるから、やらなくていいよ」 手に持っている掃除道具に気づいたのか永倉が、声をかけてきて。
「あ、はい」
きっと朝、道場の端から端まで、皆で雑巾がけをしているに違いない。冬乃は想像しておもわず微笑んだ。
視線を遣れば、道場の向こう側には沖田と斎藤が、それぞれ座って防具をつけていた。
先程聞こえた永倉達の会話からすると、二人が試合を始めるということなのだろうか。
「いや、新八さんがいる時でないと、試合できないからだよ」
永倉の横で黙って腕を組んでいた島田が、ふと思い至った様子で呟いた。
(・・どういう意味だろ?)
冬乃が首を傾げる先、防具を着け終えた二人がほぼ同時に立ち上がり、道場の中心へと向かってゆく。合わせて周囲が竹刀を止め、端へと移動してゆき。
道場の中心には、沖田と斎藤だけになった。
永倉が、おもむろに彼らのほうへと歩み出し。
「では審判は私、永倉が務めさせていただく」
「お願いします」
沖田と斎藤がどちらともなく返しながら、距離を取って竹刀を構え。
次の刹那。
びりっ、と冬乃の肌が鳥肌を立てた。
(・・・え)
静かに竹刀の先を互いへ向け合った二人の。
発した気であると。
冬乃が思い至ったその時、更なる威圧感が冬乃を襲った。
「っ・・」 一瞬息が止まって、冬乃は慌てて意図的に空気を吸い込む。
こんな重圧な闘気を浴びるのは、冬乃の師匠の集まりでの試合以来だ。
(でも今、ここまで離れてるのに)
道場の中心に居る二人から、冬乃までは相当距離がある。
それなのに息をするのも苦しい、酸欠に近い状態を感じながら、冬乃は手に持つ箒の柄を握り締めた。
充満する闘気の中、道場じゅうの人間が固唾を呑んで見守る先で、
微動だにしない二人の竹刀が、互いの間合いの一寸外で、まるで真剣を突き合わせているかのように留まり。
(平成の剣道試合とは違う。・・・おそらく、)
前提が、まるで違うのだ。
冬乃は食い入るように、制止したままの、二人の竹刀の先を見つめ。
―――初めから、
『殺し合うこと』を想定している、試合。
「・・・」
全く動かない二人を、周囲が同じく動きの一つも起こせぬままに。勝敗の決する瞬間を今か今かと待つ。
(凄い)
この、緊迫感。
冬乃の手に、汗が滲んでゆく。
(・・・二人の)
間合いさえ、
(あんなに広い)
―――間合い、
それは、剣の結界であり。
攻撃が一瞬に届く距離。
よって達人ほど、相手の間合いに、不用意に侵り込むことは無い。