土方はそう言うと踵を返す。桜司郎は顔を上げてその背を見るが、やけに遠く見えた。
このぐちゃぐちゃな気持ちのままで試衛館に戻り、離隊命令を出された暁には取り乱してしまう未来が見える。せめて心を整理する時間が欲しかった。
「副長……」
桜司郎はか細い声で呼び掛ける。植髮價錢 土方は振り返った。
「少しだけ一人にしてくれませんか。必ず戻ります、逃げませんから……」
「分かった……。今日中に戻れ。……悪かったな、俺の私情に巻き込んじまってよ」
土方は直ぐに頷く。自分が破談にした琴のせいでこうなってしまった罪悪感があったのだ。それに一人になりたいのは土方も同様だった。
桜司郎は深々と頭を下げると、ふらふらとした足取りで日本橋から北へ向かう。喧騒すら全く耳に入らない程に心が乱れて仕方が無かった。
足元の小石に き、倒れ掛かるがそれを近くを歩いていた餅売りの男が腕を掴んで支える。
「あ……。済みません、有難うございます」
「腕掴んじまって悪いな。お侍さん、随分顔色が良くないねェ。悩み事かい?」
「……ええ、そんな所です。では、これで」
弱々しい笑みを浮かべると、桜司郎は会釈をして去ろうとした。
「何があったか知らねえが、神田明神へ行ってみると良いさァ。困った時は神頼みってな!じゃあな」
餅売りはその背へそう呼び掛ける。"神田明神"とは幕府直轄の神社であり、江戸総 として武士から庶民に至るまで崇敬されていた。
その為、江戸に住む者なら知らない者は居ない。だが、京に住んでいる桜司郎は初耳だった。
「神田明神……」
しかし、それはやけに懐かしい響きだった。行った事など一度も無いはずなのに、知っているような気がする。
桜司郎は餅売りの背中に再び呼びかけた。
「あの、それは へ向かえば宜しいでしょうか」
すると、餅売りは驚いたようにまた戻ってくると、桜司郎の持っていた半紙と矢立を使って簡易的な地図を書いた。礼として餅を買い求めると、桜司郎はそれを頼りに北へ足を向ける。 人へ道を尋ねながらも四半刻ほど歩くと、参道と共に大きな鳥居が現れた。それを潜り、境内へ足を踏み入れる。見事な桜が咲き誇り、多くの参拝客がそれを見上げていた。
桜司郎も釣られるように目を細めてそれを見る。すると、近くに十歳に満たない位と思わしき男児達が歩いて来た。
「おれ、大きくなったら徳川の殿様の下で働くんだッ。に入学して、学問吟味に合格して……」
「私は色々旅をする。日ノ本は広いからな、見て回りたいのだ。神田明神様に日々祈りを捧げれば、願いも叶うと母上が申しておられた。、明日も来よう」
二人はそのような会話を交わしながら、鳥居を潜って帰っていく。それらを聞いた瞬間、妙な違和感に襲われた。
それを確かめる為に振り返った時だった。左胸の刻印が酷く疼き、頭が揺れる。片手で頭を押さえると、その場に片膝を付き目を瞑った。
その瞼の裏には、見知らぬ男児が浮かび上がっては消える。
周りの人が桜司郎を心配そうに見詰めていた。それに気付いた桜司郎は立ち上がると、何食わぬ顔で参詣を済ます。
願うのは勿論、今後も新撰組で過ごすことと、記憶が戻ることだった。
鳥居を潜ると、右手奥に大きな大聖堂が目に入る。二本差しの男たちが其方に向かって歩いていく。妙に気になり、桜司郎も其方へ足を運んだ。
すると、長く続く木の塀と立派な門が現れる。妙な既視感に胸が高鳴るのを感じながら、それを見上げた。
門の横には"学問所"の看板が掲げられている。
比較的人気の少ない通りに差し掛かった辺りで、桜司郎は口を開く。土方の奇行とも言えるそれについて聞きたかったのだ。
「副長、先程のは一体……」
そう問い掛けた瞬間、Bank Account Opening hong kong 土方はいきなり立ち止まる。その異変に気付いた桜司郎は、土方の視線の先を追った。
そこには前に立ちはだかるように女性が立っている。気の強そうな、柳腰の美しい人だった。
薄い青地に花を散りばめた鮮やかな着物に身を包み、流行りの唐人髷を結い、すっきりとした目鼻立ちを引き立てるような化粧を施している。
「歳三さま……」
その女性は土方の名を切なげに呼んだ。知り合いなのかと桜司郎は土方の横顔を見る。
旧知との再会にしては、神妙な顔付きだった。
「お琴さんじゃねえか……。何だって、こんな所に。偶然にしちゃ……」
「偶然ではありませんよ。試衛館からずっと付けさせて頂きました」
お琴、と呼ばれた女性は土方に近付く。
あの視線はやはり勘違いでは無かったと桜司郎は身構えた。
彼女は土方が姉のとくを通じて破談にさせた琴である。「最後に一言言いたくて。……本当に、破談になさるおつもりですか。あたしはいつでもお待ち差し上げると云うのに」
「……許せ。俺じゃなくて、他に幸せにしてくれる男を選んでくれ」
「あたしは、歳三さまに惚れてるんです。やっと来た連絡が破談だなんて酷すぎやしませんか……」
土方は返す言葉も見付からずに視線を落とす。琴は薄らと目に涙の幕を張ると、桜司郎を睨み付けた。
その視線には嫉妬の色が含まれており、男に向けるそれでは無い。
「……そこの女子に惚れたんですか。横に付けて歩くだなんて。だから、あたしの事はもう要らないと」
琴は躊躇なく、桜司郎を女子と断定した。桜司郎は何とか平静を装うが、背筋に嫌な汗をかく。
「何言ってんだ。こいつァ男だぜ」
土方は否定の言葉を口にするが、琴は譲らなかった。その脳裏には、小間物屋で簪を差された時の表情が浮かぶ。あれは間違いなく女子のものだった。
三味線屋の娘として、芸事には多く触れてきた。その中には歌舞伎やら浮世絵やら、男装をした女芸者やらと数々のものを見て目を肥やして来たのである。その自負が琴にはあった。
「いいえ、いいえ!この人は女子です。あたしには分かるんです。殿方の格好をして、歳三さまの傍に居るなんて図々しい……ッ!」
琴は綺麗な顔を歪め、恨みを込めた眼差しを桜司郎へ向ける。
桜司郎は蛇に睨まれた蛙のように足が竦んだ。
このように激しい恨みを向けられることに慣れておらず、その上秘密だった性別を確信を持って言い当てられたことに動揺が隠せない。
「……私は、男です」
「嘘吐くんじゃないよ、なら脱いで見せなさい。殿方なら出来るでしょうッ」
そう言うと、琴は桜司郎の着物へ手を伸ばそうとする。桜司郎はその手を振り払い、自身の着物を強く掴んだ。
「ほら、出来ないんだろう?それが何よりの証拠さ!この泥棒猫ッ……!」
そう言うと、琴は腕を振り上げる。そしてそのまま桜司郎の頬を平手で打った。
人通りが殆ど無いからこそ良かったものの、時折通る人が修羅場かと興味深そうにこちらを見てくる。
じんじんと痛み出す頬に手を当て、桜司郎は琴を見た。息を荒くして涙を流すその姿を見ると、本当に土方を想っていたということが分かる。
とばっちりながらも、同じ性別としては腹立たしさより痛ましさを感じた。"いつの時代も泣くのは女"なのだから。
「なかなか京の人々には信頼して貰えませんねェ。でも、仕方ないですよね。江戸とは気風が違うんだもの」
困ったように眉を八の字にしたところで、障子が開く音がする。どきりと胸を高鳴らせ素早く振り返ると、そこには土方が立っていた。
「何だ、土方さんか。肉毒桿菌針 どうしたんです」
それが土方であることに安心したような、残念なような、何とも言えない心地になりつつ座り直す。
土方は部屋の中に入ると、後ろ手で障子を閉めた。
「何だとはご挨拶だな。お前こそ引越しの支度はどうした」
「もう済ませましたよ。私は荷物が少ないから。……で、どうしたんですか」
沖田にそう問い掛けられ、土方は黙り込む。自分自身も何故山南の部屋へ足が向かったのか分かっていなかった。自分に分からぬことを他人へ説明は出来ないし、誤魔化さなければならない程の関係性でもない。
土方は沖田の前に座ると、視線を文机に向けたまま口を開いた。思えば、沖田と二人で向き合うのは久々だった。此処へ足が向いたのは、この機に言いたいことは話せと云うことなのだろうか。「総司」
「はい?」
言葉を失うほどの見事な介錯を勤めた後、沖田は壬生寺で泣き続けたと土方は聞いていた。桜司郎が見付け出さなければ、凍え死んで居たかもしれない事も。
「山南が脱走したと分かった日、お前だけに重い責任を背負わせちまって……悪かった。いくらでも俺を憎んでくれて構わない」
土方は呟くように言葉を紡いだ。沖田は驚いたように目元を動かすと、直ぐに笑みを浮かべる。
「私だけ、とは思っていませんよ。土方さんも同じ物を背負ってくれているのでしょう。それに、貴方は……隊の為に副長としてすべき事をしたまでです」
沖田は両手を後ろに付き、天を仰いだ。目蓋の裏には何時でもあの時の光景が嫌という程に浮かぶ。
「……憎むなら、土方さんではなく私自身です」
沖田の顔からは笑顔が消えた。土方は腕を組んで目を細める。
「山南さんを当日中に連れて帰るという役目を担って、出て行った筈なのに……結局私はそれを果たせなかった」
「それは、山南が嫌がったんだろう」
沖田は首を元に戻すと、土方を見た。その目は後悔の色をたたえている。
「本当は、本人が嫌がっても逃がすべきだったのかも知れません。そうすれば、今も山南さんは……」
「やめろ、総司」
土方は沖田の言葉を遮るように強めに言葉を発した。
最早、今どうこう言っても後の祭りでしかない。悔やむのは勝手だが、沖田がそれをしてしまえば山南は悲しむに違いない。土方はそう考えた。
「お前は間違っちゃいない。全部、副長と総長の命に従っただけだ。……あの人は、新撰組の為に死んだんだ。お前がいくら逃げろと言っても聞かなかったろうよ」
その言葉に、沖田は俯く。山南からは直接言葉として出て来なかったが、何となく脱走の理由は察していた。
伊東が局中法度を覆したと思えば直ぐに療養から戻ってきたこと。江戸へ行きたいと言っておきながら、荷物の一つも持っていなかったこと。明里という妻を迎えておきながら直ぐに死を選んだこと。
全てが不自然だった。やはり新撰組の為に死んだのかと土方に見えないところで拳を握る。
「そう、ですか」
少しだけ沖田の声が掠れた。土方はふいと目を逸らすと、立ち上がる。
部屋を出ようと障子の縁に手を置いたところで、振り向かずに口を開いた。
「……総司。俺は直に江戸に行く。お前も一緒に来るか」
江戸では藤堂が勧誘を続けている。その隊士らを迎えに行くついでに、更に勧誘をしようと考えていた。
すことは出来ない。…新撰組の結束はより強固な物になります」
それを聞いた土方はハッと息を呑み、目を見開くと山南を見る。
「山南さん、まさか……」
土方の脳裏には、避孕藥 休息所で自身が漏らした愚痴が浮かんだ。
伊東が法度を覆したことに対して、鉄の掟が破られるようになれば終わりだと言った。それに対して、山南はそうはならないと返した。
そして『私にしか出来ない事がやっと分かりました』と言った。
それが、"脱走"だと言うのか。
山南は自らの命と引き換えに、法度を護るつもりなのだ。
「土方君、本当に申し訳ない。私はもう貴方とは進めなくなりました。多くの重責を一人で背負わせる結果となるでしょう」
「……ざけんな、ふざけんなッッ!!」
土方は顔を歪めると、山南の胸ぐらを掴んだ。その手は悲しみか怒りか、震えている。
「俺は…ッ!お前を死なせる為にああ言ったんじゃねえ……!!こんな真似させる為に言ったんじゃねえ!!ただ……、お前なら分かってくれると思って…ッ」
その叫びは慟哭に近かった。自分に対する非難も込められている。
山南の中で鬱憤が蓄積されているのは分かっていた。だが、引き金を引いたのは間違いなく の言葉だ。
それを悟った瞬間、形容しがたい感情が腹の底から湧き出ては止まらない。
「おれが…お前を…殺すのか」
土方はそう言うと、山南の胸ぐらを掴んだまま項垂れた。
「違いますよ。私が自分で選んだのです…。土方君は何一つ悪くない。貴方はいつもそうやって、自分で何でも背追い込もうとする。悪い癖ですよ」
「何が違うってんだよ…。何でお前はいつもそうなんだ。綺麗で居ようとしやがるんだ。恨み言でも何でも言いゃあ良いじゃねえか…ッ」
山南は慈しむような視線を土方へ向ける。そしてその背へ手を伸ばすと、母が子をあやす様に摩った。
「恨み言なんてありませんよ、むしろ…感謝しています。…私はね、岩城升屋で死んだのですよ。武士の命である、刀を振るうことが出来なくなった」
過去を思い出すように目を細め、左手の拳を握る。
「それでも、新撰組は私を必要としてくれた。貴方は私を生かそうとしてくれた…。それにどれだけ救われたか」
そう言いながら、山南は泣き笑いのような表情になった。心からの感謝の言葉なのだろう。
「だから、せめて最期は新撰組の為に死にたいのです。武士として生かしてくれたこの場所で、武士として逝きたい」
「そんなの…お前を必要とするなんて、当たり前のことだろうが…ッ。お前は、馬鹿だ…!大馬鹿者だ!」
気鬱になろうとも、意見が衝突しようとも、山南は最後まで新撰組のことを考えていたのだ。江戸から上ってきた時と同じように、土方と同じ道を見ていたのだ。「そうかも知れませんね…。けれど、土方君なら私の死を無駄にはしないと信じていますから」
それは最大の信頼の言葉であり、土方は胸がいっぱいになる。
山南が戻ってくるまで、裏切られたのだという気持ちが心のどこかにあった。だが、それは違うのだと、全て山南の最期の策略のうちだったのだと分かった。
このまま山南を失うくらいなら、裏切られていた方がマシな筈なのに。何処か満たされたような気持ちになる自分に土方は気付いた。
このままでは恥も外聞も無く泣いてしまいそうだと、土方は小さく息を吐く。
「…俺ァ、お前のそういう綺麗な所が嫌いだったぜ。どれだけ泥臭ェことをしても、お前は澄ましててよ…」
土方の精一杯の強がりに、山南はくすりと笑みを浮かべた。
嫌いと言っているのに、その表情は何処か泣き出してしまいそうな物で。
「私は、土方君……いや、"歳さん"の強情な所も、勝つ為には手段を選ばない所も…」
嫌いだと言いたいのか、と土方は顔を上げて山南を睨む。山南は目を細めて優しく口角を上げた。
「嫌いじゃなかったですよ」
その言葉に土方は再度胸を詰まらせる。山南の胸ぐらから力無く手を放した。
「そういう、所だって…言ってんだよ」
土方の愚痴に桜司郎が付き合った事も近藤は知っていたのである。その上で沖田と共に休ませようとの配慮をしたのだ。
原田はそう言うと、障子をぴしゃりと閉めて去っていく。
「……強引な人だなァ」 「解散だ。切腹は今夜、暮れ六つとする。松原君、山南総長を部屋へお連れしろ」
土方の声でそれぞれが動く。https://www.easycorp.com.hk/en/notary 松原は丁寧に山南を待機部屋へと誘導した。
江戸から付き合いのある面々は動かずにその場に残る。俯き、悔しげに拳を固く握り締めていた。
土方は立ち上がろうと腰を浮かせる。その前を塞ぐように立ちはだかる者の姿に眉を顰めた。
「土方副長、貴殿は本気で処分をするおつもりなのですか」
伊東である。土方は射抜かんばかりの鋭い視線を向けた。
「山南総長がどれだけ新撰組に必要な人間であるのか、分からぬ貴殿ではありますまい!」
臆せずに面と向かって物を言えるのが伊東の美徳ではある。だが、このようにして平隊士をも庇い立てて取り込んだのかと思うと、土方は反吐が出そうな思いだった。
「必要だろうが何だろうが、法度は法度だ。法は守られるために存在する…。綺麗事で済む話なら、この日ノ本は犯罪大国になる。そうじゃねえのかい」
土方は胡座をかいて座り直すと、伊東と向き合う。伊東もそれに倣って土方の前に座った。
「だが、山南君は総長だ…。たかが脱走くらいで…」
「たかが?今、たかがと言ったか。もし山南がきな臭ェ奴で、隊の情報を持って逃げたとすれば、お前はどう責任を持つつもりだ?それでもたかがと言えるのかッ」
土方の眉間には血管が浮かぶ。無責任な糾弾をして来る人間が大嫌いだった。
口だけなら何とでも言えるのだ。結局伊東は中身の詰まらない、綺麗事の世界で生きてきた坊ちゃんなのだと苦々しく思う。
「それは……」
「山南から聞かなかったか。総長だろうが局長だろうが、例外は えんだ」
そう問われ、伊東の脳裏には山南の言葉が浮かんだ。
『無論。新撰組の隊士であれば全員が適用対象です。規律違反は切腹です。例外は認められません』
『違反を犯せば、私も腹を切りますよ。それが新撰組であることの誇りです』
心当たりがあるような表情になった伊東を、土方は見逃さない。
「法度は俺と山南の新撰組副長としての誇りだ。お前はそれを侮ったな。近藤さんを取り込めば、楽に覆ると思いやがったか」
「そ、それは……。そのようなことは…」
図星を当てられた伊東はすっかり萎縮した。そして初めて法度の重みを思い知ったと言わんばかりに顔色を青くする。
未だに山南の事を助けられると信じていたのだ。
土方は不敵な笑みを浮かべると、伊東に近付く。そして低い声でこう告げた。
「山南の切腹の片棒を担いでんのは……伊東さん、お前もなんだぜ。心当たりが無えとは言わせねえ」
「そんな……」
その言葉に伊東はがっくりと項垂れる。わなわなと唇が震え、全身の血が引いていくような感覚に襲われた。
療養から復帰した山南を前に、得意気に局中法度は覆せると話したことを思い出す。
「お前さんも一緒に腹を切るか?そうじゃねえんなら、黙っていろ」
土方はそう凄むと、呆然と座り込む伊東を尻目に部屋を出て行った。